戦国における関東の覇者! 北条氏(小田原)について

戦国時代の関東といえばやはり北条氏!

◆(小田原)北条氏とは?

まず、鎌倉幕府で執政を執り行っていた北条とは別物です。
区別のために、戦国時代の北条氏を小田原北条氏(または後北条氏)と呼ぶのが一般的です。
なぜ小田原かといえば、小田原にある小田原城を本拠地としたからです。

北条家を興したのは北条早雲という人物ですが、
元は伊勢盛時という姓名でした。
伊勢家は京で室町幕府につかえる家臣団で、
そこそこ高い地位にあった家系だといわれています。

◆駿河や伊豆から小田原へと勢力を伸ばす

早雲は室町幕府の家臣として様々な手柄をたて、
駿河国(静岡県)の 興国寺城の城主となります。
その後、伊豆国を手に入れ、そのまま相模国の拠点、小田原城を奪い取り、
そして三浦半島までも手中に収めます。

さて、伊豆国を手に入れたのは手柄に対する恩賞ではなく、
戦をしかけ実力で奪い取った結果だといわれています。
つまりは室町幕府の家臣の仕事としてではなく、
私利私欲のため攻め入り実力で強奪したという。
この時より、戦国時代が始まったとする説もあります。

◆優秀な2代目、3代目

伊豆、小田原、三浦半島などを支配し、
相模の領主となった伊勢家ですが、
早雲の息子にして2代目の氏綱より北条と名乗る事になります。

北条氏綱やその息子にして3代目の北条氏康は名君であり、
民衆に対して清く正しい政治をしたといわれています。
また氏康は戦にもつよく、北条家や武田信玄や上杉謙信に何度も攻められますが、
すべて撃退に成功しています。

◆豊臣秀吉の小田原出兵

5代目の氏政、6代目の氏直も優秀であり、
民衆に慕われる政治をする名君でしたが、
当時実質的に天下統一をしていた関白豊臣秀吉に対して、
臣従を拒み続けました。

北条氏は最後まで臣従を拒み続け、ついに秀吉に攻め込まれてしまいます。
豊臣軍というほぼ日本オールスター軍に小田原城のまわりを包囲され、
数か月もの物籠城戦となりました。
その間、小田原城では打って出るか、降伏するか、このまま籠城するかなどと、
答えの出ない議論を延々と続けたといいます。
これが後に「小田原評定」という言葉になりました。

◆北条氏滅亡

豊臣秀吉の大規模な兵力物力の前になすすべもなく、
北条氏はついに降伏する事となりました。
その後、関東は徳川家康が納めることとなります。

関東には小田原北条氏の遺跡が数多くあります。
特に城跡あとは素晴らしいものが多くありますので、
これから記事にしていこうと思います。

関東の旧国名と路線名

関東にも多くの路線が走っています。
その路線名に旧国名が使われているものもあります。

・総武線

東京駅から銚子駅(千葉県)を結ぶ路線です。
総武線の「総武」ですが、「総」が下総国と上総国を意味し「武」が武蔵国を意味しています。
その名のとおり、元々は武蔵国と下総国・上総国を結ぶ路線として始まりました。
下総国、上総国は大部分が今の千葉県にあたり、武蔵国は東京と埼玉にあたりますね。
これは何処と何処を走るか、分かりやすいですね。

・両毛線

新前橋駅(群馬県)と小山駅(栃木県)を結ぶ路線です。
名前のとおり、ちょうど両毛地域を走っています。
両毛地域とは、栃木県南西部から群馬県南東部に至る平野部の事を呼び、
由来は上野国(かみつけのくに)と下野国(しもつけのくに)の旧国名からきています。
両国は上毛野国、下毛野国とも書かれたようです。
これは少し分かりにくいですね。

・甲武鉄道

今はもうありませんが、その昔に甲武鉄道という路線がありました。
御茶ノ水駅(東京都)と八王子駅(東京都)までを走っていて、
今は中央本線の一部となっています。
もともとは武蔵国と甲斐国(山梨県)を結ぶ目的をもって開業されたので、
甲という文字が入っています。

路線のような現代人の生活に欠かせないものに、
いまだ古い名称が生きている事に浪漫を感じます。
そして、歴史的な知識はいたるところで役に立つのだと実感します。
たとえば、旧国名を知らないと関東甲信越の範囲が分からず、
天気予報が正確に聞けないとか(笑)

旧国名は確か中学生で習いました。
歴史の勉強も大切ですね。
ちなみに管理人は学生の頃は歴史が大嫌いで、
歴史学に対しては完全なる劣等生でした(笑)
大人になってから歴史好きになりました。
きっかけは色々です。
また別の記事で語りたいと思います。

平将門と誓いの梅

東京の青梅市には金剛寺というお寺があり、
「将門誓いの梅」と呼ばれる梅の樹があります。

この樹には一つの伝説があります。

平将門がこの地を訪れた際、
「我願い成就あらば栄ふべし。しからずば枯れよかし」と、
馬の鞭として持っていた梅の枝を地面に刺したところ、
なんとその場に根付き、見事な梅の実がつくようになったとの事
しかもその梅の実は、秋になっても青いまま地に落ちる事がないのだという。

平将門が本当に青梅(当時は杣保という地名でした)に来て、
梅の枝を刺したかはあくまで伝説なので真偽は分かりませんが、
梅の実が秋になっても青いままというのは本当らしいです。

突然変異なんですね。

また、青梅という地名はこの伝説が由来という説もあります。

平将門といえばオカルトとかのイメージがありますが、
こういう武将らしい逸話もあるんですね。

今回はまだ実がなっていませんでしたので、
夏から秋にかけてまた行ってみようと思います。

場所:金剛寺
住所:東京都青梅市天ヶ瀬町1032

青梅駅から徒歩で15分くらいです。

関東地方と旧国名

関東地方はどのように地域区分がされているのでしょうか。
法律上の明確な区分はありませんが、
一般的には東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木で構成されます。

◆旧国名

明治時代に廃藩置県がなされるまでは令制国制に基づいて国別に区分されていました。
関東地方には八つの国がありました。

武蔵国
相模国
上野国
下野国
常陸国
上総国
下総国
安房国

この八つの国を関八州と呼ぶ事もあります。

◆甲信越

また、これに加えて甲斐国、信濃国、越後国を加えて関東甲信越と呼ぶ事もあります。
天気予報でよく聞きますね。
甲信越とは今の山梨県、長野県、新潟県にちょうどあたります。

山梨県=甲斐国
長野県=信濃国
新潟県=越後国

このブログは関東歴史日記とありますが、
正確には関八州歴史日記になるのかもしれません(笑)

関東の城と城跡

関東にはどんな城郭があったのでしょうか。

・江戸城

日本で一番有名なお城ですね。
江戸幕府を開いた徳川氏の居城であり、
現在は皇居となっています。
築城したのは太田道灌。
関東を代表する戦国武将の一人で、築城の名手だとされています。
なお、家康が入城した際に大改修をしています。

・八王子城

築城したのは北条氏照とされています。
氏照は北条の四代目当主、氏政の弟です。
八王子城は北条氏の築城技術の集大成ともいえる名城でしたが、
氏照不在の際、豊臣軍(上杉氏、前田氏等)に攻め落とされました。

・箕輪城

上野(群馬県)現在の高崎市にあったお城です。
築城したのは長野氏。
この長野氏といえば猛将、長野業正が有名。
あの武田信玄の幾たびもの猛攻を何度も退ける奮戦ぶり。
この箕輪城跡地にはとても良い遺構が残っています。

・忍城

埼玉県行田市にあったお城です。
ここは小説・映画「のぼうの城」で有名で、
成田氏が築城氏したとされています。
豊臣軍による城攻めに耐えた数少ないお城。
特に水攻めに耐えた逸話が有名ですね。

・勝沼城

東京の西多摩の方にあったお城です。
三田氏によって築城され、
同氏の居城とされてきました。
関東の中でもマイナーな方ですが、
良い遺構が残っています。

今回紹介したのは関東の城跡の中でも極一部であり、
他にも素晴らしい史跡が数多くあります。
これから実際に訪問してりしにて、
紹介していこうと思います。

戦国時代の関東

戦国時代の関東の情勢はどのようなものだったのでしょうか。

まず、南北朝時代の終わり頃より上杉氏が関東の支配者として君臨してきました。
これは室町幕府を開いた足利尊氏の妻が上杉出身であり、
親縁関係にあったので勢威を持てたとされています。

その後、群雄割拠の戦国時代となると後北条氏が台頭してきます。
この北条氏は鎌倉時代の執政家の北条氏とは別物です。
上杉家は関東においての勢力を完全に北条家に奪われてしまいます。
上杉謙信で有名な上杉家は元々越後(現新潟辺り)に勢力を持つ長尾氏で、
関東管領の職位を持っていた上杉氏が長尾氏を頼り落ち延び、
そのまま職位と名跡を承継しました。

他には下野(現栃木辺り)の宇都宮氏、
常陸(現茨城辺り)の佐竹氏、
房総(現千葉辺り)の里見氏など、
各地に勢力を持った戦国大名家も多々ありました。
ちなみに私が住む西多摩の方には三田氏という勢力がいました。
頑張っていたけど、北条氏には敵わなかったようです。
この三田氏については良い城跡がいくつか残っているので、
そのうち記事にしたいと思います。

さて、その北条氏が豊臣氏に敗れ、秀吉による天下統一がなされます。
その後はもう説明不要かと思いますが、徳川氏が江戸に居を構え、後に幕府を開く事になります。

関東には面白い逸話や素晴らしい史跡が数多くあります。
これからどんどん紹介の記事を書いていきたいと思います。

新撰組は関東出身!?

2017年5月30日。
今日は暑いですね……。
まだ5月だというのに30度を超えています。
ちなみに、本日は私の誕生日です。
いくつになったかは秘密です。

さて、コンテンツとしては最初の記事になります。
第一回目は新撰組について書きます。

・新撰組は多摩地区出身!?

新撰組の幹部の多くが多摩地区の出身です。
局長の近藤勇、副長の土方歳三、一番隊組長で剣術師範の沖田総司など。
多摩地区(東京)出身の彼らが京で華々しく活躍したとあり、感慨深いものがあります。
私も多摩の人間なだけに。西多摩ですが。

・近藤勇について

近藤勇は1834年11月9日に武蔵国多摩郡上石原村、
現在の東京都調布市野水に生まれました。
まわりには府中自動車運転試験場や国際基督教大学などがありますね。
ちなみに私は府中自動車運転試験場で自動車免許を取りました。
近藤は15歳の頃に天然理心流剣術道場・試衛館に入門します。
試衛館は江戸牛込、現在の東京都新宿区牛込にあったようです。
その後、宗主近藤周助の養子となり天然理心流宗家を継承しました。
1863年に江戸幕府が作った浪士組に参加し、京へと上ります。

・土方歳三について

土方歳三は1835年5月5日に武蔵国多摩郡石田村、
現在の東京都日野市石田に生まれました。
日野市には土方歳三資料館なんかもあります。
幼少期には呉服屋の丁稚をしたり、
実家の薬「石田散薬」の行商をしていました。
1859年に天然理心流に入門し、
1863年に近藤と共に京へ上ります。

・沖田総司

沖田総司は1842年から1844年頃に、
奥州白河藩阿部豊後守下屋敷、
現在の東京都港区西麻布1丁目11番地6に生まれました。
ここには現在、ホテル&レジデンス六本木がありますね。
1850年頃、天然理心流に入門し、
10年ほどで試衛館で最強となります。
並外れた素質があったようですね。
1863年に、近藤や土方と共に京へと上ります。

・新撰組といえば関東!?

新撰組といえば京都のイメージがありますが、
発祥の地である多摩(東京)、
激戦地、甲州勝沼(山梨)、
近藤勇と隊士の別れの地、流山(栃木)など、
関東にも新撰組に関わり深いものが数多くあります。

これから関東にある新撰組の歴史の足跡を辿っていきたいと思います。

ブログ開始

はじめまして。
本日より『ぶらり関東歴史日記』を開始します。
内容はタイトルのとおり、関東に関する様々な歴史の記事を書いていきます。
時代やジャンルにはこだわらず、何でも記事にしていくつもりです。
戦国武将や幕末志士はもちろん、
史跡めぐり、文化や風習、伝承や昔話、
漫画やゲーム等など。
また、その歴史や土地にちなんだお店や商品なんかも紹介していきたいと思います。
私はかなりの飲ん兵衛なので、お酒特集が多くなるかもしれません(笑)

◆関東とその周辺を扱います。

関東とありますが、厳密に区切らずその周辺も扱うつもりです。
甲信越、静岡、福島くらいまではやろうと考えています。

◆管理人について

日本史が大好きな東京在住の成人男性です。
いい年して少し中二病がはいっています(笑)
基本的に日本史全般が好きです。
特に好きなのは南北朝、戦国、幕末から近代史まで。
南北朝より前は守備範囲外です(まだ手をつけていないだけで興味は有り)
また、世界史には少し疎いです。

それでは、どうぞよろしくお願いします。